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	<title>在庫処分代行 在庫処分サービスサイト shoichi</title>
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	<description>【企業理念】株式会社Shoichiは貴社の眠れる在庫に魂を与え、再び輝くステージを与えます！！</description>
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		<title>何故、彼氏彼女は束縛し、束縛されるのか　～とある私の友人の束縛事情～　今日の昼飯は上等カレーです。</title>
		<link>http://shoichi.co.jp/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/350.php</link>
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		<pubDate>Fri, 04 Feb 2011 02:06:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[Ａさん
そういや、昨日飲み屋でしていた、恋人に束縛されるっていう話。
あれが結構頭に残ってました。
私も友人と昔議論したテーマだったんで、よかったら下記参考にして欲しいです。
一応、見解の一つとして。
●プロローグ
束縛は恋愛関係の中でもよくテーマになる題材です。
で、一般的に、束縛の話をしたら、下記のようなモヤッとした問答になると思うんですね。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/868058.html
http://qanda.rakuten.ne.jp/qa5753526.html
あなたも見て感じると思いますが、議論がモヤッとしています。
質問者のモヤッとした質問や不満に対して、周囲の人や友人やらがモヤッと回答して、質問者がなんとなーく解決したように感じる。
そんなしょーもない議論の典型だと思います。
「彼氏がいてコンパにいくことは、なんとなくだが良いことではなく悪いことだと思う。」というモヤッとした価値観が生み出す議論。
時間のムダです。無駄無駄！！
僕らも最初は上記のように、「なんとなく悪いことじゃないか」と無駄無駄議論してたんですが、そのやり方では本質的に何も解決されていないということになりました。
で、議論するならキッチリ問題解決までいこうということになり、「この問題の本質は何か」という話になりました。
どうせやるなら、多少知識のある奴も呼んでやろうことになり、心理学の勉強している友達も巻き込んで行われました。
●問題提議
そもそも何故我々は愛しい恋人を束縛するのでしょうか。
私はその行動原理は２パターンあると思ってます。
１，自分に自信がないぜ！パターン。
→自分に自信がないので、自分よりイイ異性が出てきた場合、自分の愛する異性が奪われる。
それは自分が悲しい。愛する異性が奪われる可能性を１％でも減らしたい。
２，束縛されるのでなんかムカつくから束縛し返すぜ！パターン　または　なんかわからんけどムカつくから束縛してやる！パターン
→束縛されると、「なんで私だけ？」となって束縛し返すパターン。
または、なんかムカつくことがあって、報復手段として束縛するパターンです。
束縛というものは、自分が恋人に対して絶対的優位を保証するものがないから、若しくは恋人が自分を一生選び続ける保障がないから、その２次行動として相手を束縛するわけです。
束縛する人は大抵、「私はあなたの恋人である。私があなたを束縛したほうが私が幸せだし、2人にとっても幸せだ。だから束縛します！」という正論ぽいがよく考えてみるとなんの根拠もない権限を使って束縛して来ます。
●問題分析
「束縛」の能動者と受動者でる自分と恋人は、基本的に相思相愛で、自らが相手の幸せを願っています。
これはとりもなおさず、建設的に議論が行われる土台があるということになります。
なのにこの束縛の議論に関して、２人の結論が交わらず、不満ばかり溜まる。
これは何故でしょう。
自らが相手の幸せを深く願っているのに、何故束縛という手段は幸せに貢献しないのでしょうか。
「束縛」は手法としては恐らくコミュニケーションにカテゴライズされると思います。
束縛することによって、何らかの意思を疎通します。
コミュニケーションや議論には一つの法則があります。
コミュニケーションや議論で成果を得るには、最終的に得たい成果や価値観を参加者全員で共有していることが前提である。
つまり、
束縛というコミュニケーション手法を使い、建設的な成果を出そうとすれば、最終的に２人が得たい結果や価値観を共有することが必要なのです。
2人が最終的に得たい結果や価値観がズレていたら、やる意味は全くありません。それは会話であっても、束縛であっても、共通です。
では、自らが相手の幸せを深く願っているのに、何故束縛というコミュニケーション手法は幸せに貢献しないのでしょうか。
その原因として「カップルのお互いが描いている幸せ像（得たい結果や価値観）がズレているからではないか」という仮説が成立つわけです。
私は束縛をコミュニケーションの手法として完全に否定しているわけではありません。
ですが、本当に束縛は多くの幸せを生み出しているのでしょうか。
ただ束縛をうまく利用して、より幸福度を高めるカップルも中にはいますが、
束縛が原因で破綻に追い込まれているカップルがそれ以上に居ることもまた確かなのです。
●問題を肯定的に捉えてみる
では、議論は次のフェーズに移ります。
「もし束縛という手法が正しいとすると、どの程度の、どういった方向性の束縛が2人にとって最適なのかを、どうやって決めるのか。」
という議論をしてみましょう。
「束縛」がお互いの幸福に貢献するかどうかは、最終的に得たい成果や価値観を２人で共有しているかを確認しなければわかりません。
上記を鑑みると、「幸福に貢献する束縛」を行うためには、下記の流れが必要となってくるわけです。
自身の価値観の変化や、2人の恋人としての関係性優位性の変化に応じて、定期的に2人の得たい結果や価値観をあわせる
↓
どこをどう束縛したら、どういう風に2人にとってメリットがあるのかを調整する
↓
また何か変動したら、自身の価値観の変化や、2人の恋人としての関係性優位性の変化に応じて、定期的に2人の得たい結果や価値観をあわせる
↓
どこをどう束縛したら、どういう風に2人にとってメリットがあるのかを調整する
↓
endless…
上記の流れは非常に面倒ですし、普通はここまでやりません。
こんな暇があったら、うまいもん食って、セックスして寝た方がよっぽど幸せに貢献します。
それに全ての項目に関して、綿密に擦り合わせることはできませんので、どうしても議論しきれない部分が残ります。
項目出し、リスト化が難しい。
また束縛には下記の2つの変動要素があります。
１，自身の価値観の変化
２，2人の恋人としての関係性、優位性
１，自身の価値観の変化
→価値観は変動するもので、それは友人の一言、一冊の本、占い師や風水師のしょーもない一言で変動します。
そして価値観が変わるたびに、あなたは恋人とモメながら「お前昔と言う事変わってるやん！」という非難を浴びながら価値観を合わせていかなければならないのです。
例えば、彼氏と焼肉に行くのが大好きだったのに、占い師に「焼肉に行くと不幸になる。」と言われて、「私は焼肉は一生行かない！」となる。
それは、焼肉に行かない、という束縛です。
あなたは、価値観の変化によって、焼肉に行かないという束縛状況を生み出しています。
２，2人の恋人間の関係性、優位性の変化
→どっちの方が、どれだけ好きか、ということです。
やっぱり恋愛関係は一般的に、惚れている方が合わせていくパターンが基本だと思います。
私はどっちかいうとドＳですが、惚れたら多少Ｍになります。要は愛する相手を幸せにしたい、尽くしたいと思うわけで、これは当然の心境の変化だと思ってます。
私は朝御飯はパンしか食べない！でも最近今までどうでもよかった朝はごはん派の彼氏のことが好きになってきたから、私もごはんを炊いてみようかしら…
あなたは、恋人間の関係性、優位性の変化によって、パンじゃなくごはんもオッケーということで束縛を緩和させました。
●仮説提案
なので、私としては束縛によって、2人の関係性を破綻させない方法として、下記の２つの結論に至るのです。
Ａ，上記の方法です。何か価値観の変更があるたびに、束縛度合いを調整する。
これは束縛度合いが１以上の場合です。
例えば、上司と飲みに行くことがOKなカップルであっても、
彼女が女トモダチに「私は彼氏が仕事の付き合いであってもコンパ行くことを禁止しているわよ！あなた、そんなの許してるの？彼氏にナメられてるんじゃない？」と言われたら、
ああ私は甘かったんだ、女トモダチに顔が立たないわと思って、自分の自尊心を守るために束縛の度合いを変更したらどうでしょうか。
で、彼氏に「あんた、明日からコンパ行ったら殺すから。」と言ったらどうなるでしょうか。
束縛度合いの変更を相手に伝えることによって、「またこいつ価値観変わりやがった。本当にこいつはキチガイだな。」と思われるのは間違いないでしょう。
束縛を続ける場合、上記のような、価値観のメンテナンスを一生繰り返す必要があります。
価値観のメンテナンスを行っても、行わなくても、最終的には双方に相当の心的コストがかかります。
Ｂ，そもそも束縛度合いをゼロにする。相手をオール信用し、尊重する。
これは束縛度合いを、限りなくゼロに近づける状態です。
「オトナなんだから、相手の行動も制約しないし、自分の行動も制約されない。
ただ、相手の最低限の礼儀として、好きな相手を心配させない方法として、異性と2人で飲みに行く時とかは最低限の報告をする。手放しの信頼を双方が行うことによって、さらに信用と愛を深める。
浮気の防止は、自分が常にいい男、いい女であるようにするほかない。それでも、浮気されたらしょうがない。
そんな異性を選んだ、自分の自己責任だ。」
私は束縛を否定しているわけではありません。
ただ、変化し続ける2人の価値観を元に「束縛」をコントロールして継続させる方法が非常に難しく、コストもかかるし一般的ではないだろうと言うことです。
このコミュニケーション手法「束縛」に関しては、そもそも行動制約というネガティブな手法である上に、その束縛の度合いとメリットを相手に表現伝達しにくいところに問題があるのです。
私としては「価値観が変わるたびに束縛を調整するのはめんどくさい。また、どういった理由であれ、相手の行動を制限するのは最終的に人生の全体的な幸福感を失う可能性が高い。」
という判断をしています。
また、Ａパターンはケンカが起きやすい。当たり前ですよね、意見が変わることになるんですから。異性との不必要なケンカは、最もエネルギーを消費します。
もしあなたが、恋人がコンパに行くのを禁止しているとします。
では、恋人が外を歩くのは許可するのでしょうか？
もし、あなたの恋人がとても可愛くて、偶然ドラマロケ中の福山雅治にナンパされる可能性はゼロでしょうか？
その可能性を考えると、恋人は外に連れ出さずに、携帯電話も取り上げるべきでしょうか？
それともコンパはコンパでも、超ブサイクばかり来るのが約束されているコンパなら行ってもいいのでしょうか？
上記は一見極論に見えますが、相手の純潔を守るために行動を制約しているという点では共通です。
Ａパターンは、自分が努力成長する根拠にもなるので、非常にお得ではないでしょうか。
もし最終的に別れても「私は、自分に合う人を見抜くだけの力がなかった」とすんなり自己責任にできる。
自己成長や改善は、自己責任に感じることから始まります。だから、私は自己責任を選ぶことによって、更なる成長を得ることが出来る。
別れても更に幸せになる可能性がアップするわけです。
で、結論としては、Ａを勧めるわけです。
…と、思うんですが、どうなんですかね！？
しょせん、生き方の問題と言われたらそれまでなんですが、私はこう思うわけですよ。
このテーマ、あなたはどう思いますか？
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>Ａさん</p>
<p>そういや、昨日飲み屋でしていた、恋人に束縛されるっていう話。<br />
あれが結構頭に残ってました。<br />
私も友人と昔議論したテーマだったんで、よかったら下記参考にして欲しいです。<br />
一応、見解の一つとして。</p>
<p>●プロローグ<br />
束縛は恋愛関係の中でもよくテーマになる題材です。<br />
で、一般的に、束縛の話をしたら、下記のようなモヤッとした問答になると思うんですね。<br />
<a href="http://oshiete.goo.ne.jp/qa/868058.html">http://oshiete.goo.ne.jp/qa/868058.html</a><br />
<a href="http://qanda.rakuten.ne.jp/qa5753526.html">http://qanda.rakuten.ne.jp/qa5753526.html</a><br />
あなたも見て感じると思いますが、議論がモヤッとしています。<br />
質問者のモヤッとした質問や不満に対して、周囲の人や友人やらがモヤッと回答して、質問者がなんとなーく解決したように感じる。<br />
そんなしょーもない議論の典型だと思います。<br />
「彼氏がいてコンパにいくことは、なんとなくだが良いことではなく悪いことだと思う。」というモヤッとした価値観が生み出す議論。<br />
時間のムダです。無駄無駄！！</p>
<p>僕らも最初は上記のように、「なんとなく悪いことじゃないか」と無駄無駄議論してたんですが、そのやり方では本質的に何も解決されていないということになりました。<br />
で、議論するならキッチリ問題解決までいこうということになり、「この問題の本質は何か」という話になりました。<br />
どうせやるなら、多少知識のある奴も呼んでやろうことになり、心理学の勉強している友達も巻き込んで行われました。</p>
<p>●問題提議<br />
そもそも何故我々は愛しい恋人を束縛するのでしょうか。<br />
私はその行動原理は２パターンあると思ってます。</p>
<p>１，自分に自信がないぜ！パターン。<br />
→自分に自信がないので、自分よりイイ異性が出てきた場合、自分の愛する異性が奪われる。<br />
それは自分が悲しい。愛する異性が奪われる可能性を１％でも減らしたい。</p>
<p>２，束縛されるのでなんかムカつくから束縛し返すぜ！パターン　または　なんかわからんけどムカつくから束縛してやる！パターン<br />
→束縛されると、「なんで私だけ？」となって束縛し返すパターン。<br />
または、なんかムカつくことがあって、報復手段として束縛するパターンです。</p>
<p>束縛というものは、自分が恋人に対して絶対的優位を保証するものがないから、若しくは恋人が自分を一生選び続ける保障がないから、その２次行動として相手を束縛するわけです。<br />
束縛する人は大抵、「私はあなたの恋人である。私があなたを束縛したほうが私が幸せだし、2人にとっても幸せだ。だから束縛します！」という正論ぽいがよく考えてみるとなんの根拠もない権限を使って束縛して来ます。</p>
<p>●問題分析<br />
「束縛」の能動者と受動者でる自分と恋人は、基本的に相思相愛で、自らが相手の幸せを願っています。<br />
これはとりもなおさず、建設的に議論が行われる土台があるということになります。<br />
なのにこの束縛の議論に関して、２人の結論が交わらず、不満ばかり溜まる。<br />
これは何故でしょう。<br />
自らが相手の幸せを深く願っているのに、何故束縛という手段は幸せに貢献しないのでしょうか。</p>
<p>「束縛」は手法としては恐らくコミュニケーションにカテゴライズされると思います。<br />
束縛することによって、何らかの意思を疎通します。</p>
<p>コミュニケーションや議論には一つの法則があります。<br />
コミュニケーションや議論で成果を得るには、最終的に得たい成果や価値観を参加者全員で共有していることが前提である。</p>
<p>つまり、<br />
束縛というコミュニケーション手法を使い、建設的な成果を出そうとすれば、最終的に２人が得たい結果や価値観を共有することが必要なのです。<br />
2人が最終的に得たい結果や価値観がズレていたら、やる意味は全くありません。それは会話であっても、束縛であっても、共通です。<br />
では、自らが相手の幸せを深く願っているのに、何故束縛というコミュニケーション手法は幸せに貢献しないのでしょうか。<br />
その原因として「カップルのお互いが描いている幸せ像（得たい結果や価値観）がズレているからではないか」という仮説が成立つわけです。</p>
<p>私は束縛をコミュニケーションの手法として完全に否定しているわけではありません。<br />
ですが、本当に束縛は多くの幸せを生み出しているのでしょうか。<br />
ただ束縛をうまく利用して、より幸福度を高めるカップルも中にはいますが、<br />
束縛が原因で破綻に追い込まれているカップルがそれ以上に居ることもまた確かなのです。</p>
<p>●問題を肯定的に捉えてみる<br />
では、議論は次のフェーズに移ります。<br />
「もし束縛という手法が正しいとすると、どの程度の、どういった方向性の束縛が2人にとって最適なのかを、どうやって決めるのか。」<br />
という議論をしてみましょう。</p>
<p>「束縛」がお互いの幸福に貢献するかどうかは、最終的に得たい成果や価値観を２人で共有しているかを確認しなければわかりません。<br />
上記を鑑みると、「幸福に貢献する束縛」を行うためには、下記の流れが必要となってくるわけです。</p>
<p>自身の価値観の変化や、2人の恋人としての関係性優位性の変化に応じて、定期的に2人の得たい結果や価値観をあわせる<br />
↓<br />
どこをどう束縛したら、どういう風に2人にとってメリットがあるのかを調整する<br />
↓<br />
また何か変動したら、自身の価値観の変化や、2人の恋人としての関係性優位性の変化に応じて、定期的に2人の得たい結果や価値観をあわせる<br />
↓<br />
どこをどう束縛したら、どういう風に2人にとってメリットがあるのかを調整する<br />
↓<br />
endless…</p>
<p>上記の流れは非常に面倒ですし、普通はここまでやりません。<br />
こんな暇があったら、うまいもん食って、セックスして寝た方がよっぽど幸せに貢献します。<br />
それに全ての項目に関して、綿密に擦り合わせることはできませんので、どうしても議論しきれない部分が残ります。<br />
項目出し、リスト化が難しい。<br />
また束縛には下記の2つの変動要素があります。<br />
１，自身の価値観の変化<br />
２，2人の恋人としての関係性、優位性</p>
<p>１，自身の価値観の変化<br />
→価値観は変動するもので、それは友人の一言、一冊の本、占い師や風水師のしょーもない一言で変動します。<br />
そして価値観が変わるたびに、あなたは恋人とモメながら「お前昔と言う事変わってるやん！」という非難を浴びながら価値観を合わせていかなければならないのです。<br />
例えば、彼氏と焼肉に行くのが大好きだったのに、占い師に「焼肉に行くと不幸になる。」と言われて、「私は焼肉は一生行かない！」となる。<br />
それは、焼肉に行かない、という束縛です。<br />
あなたは、価値観の変化によって、焼肉に行かないという束縛状況を生み出しています。</p>
<p>２，2人の恋人間の関係性、優位性の変化<br />
→どっちの方が、どれだけ好きか、ということです。<br />
やっぱり恋愛関係は一般的に、惚れている方が合わせていくパターンが基本だと思います。<br />
私はどっちかいうとドＳですが、惚れたら多少Ｍになります。要は愛する相手を幸せにしたい、尽くしたいと思うわけで、これは当然の心境の変化だと思ってます。<br />
私は朝御飯はパンしか食べない！でも最近今までどうでもよかった朝はごはん派の彼氏のことが好きになってきたから、私もごはんを炊いてみようかしら…<br />
あなたは、恋人間の関係性、優位性の変化によって、パンじゃなくごはんもオッケーということで束縛を緩和させました。</p>
<p>●仮説提案<br />
なので、私としては束縛によって、2人の関係性を破綻させない方法として、下記の２つの結論に至るのです。</p>
<p>Ａ，上記の方法です。何か価値観の変更があるたびに、束縛度合いを調整する。<br />
これは束縛度合いが１以上の場合です。<br />
例えば、上司と飲みに行くことがOKなカップルであっても、<br />
彼女が女トモダチに「私は彼氏が仕事の付き合いであってもコンパ行くことを禁止しているわよ！あなた、そんなの許してるの？彼氏にナメられてるんじゃない？」と言われたら、<br />
ああ私は甘かったんだ、女トモダチに顔が立たないわと思って、自分の自尊心を守るために束縛の度合いを変更したらどうでしょうか。<br />
で、彼氏に「あんた、明日からコンパ行ったら殺すから。」と言ったらどうなるでしょうか。<br />
束縛度合いの変更を相手に伝えることによって、「またこいつ価値観変わりやがった。本当にこいつはキチガイだな。」と思われるのは間違いないでしょう。<br />
束縛を続ける場合、上記のような、価値観のメンテナンスを一生繰り返す必要があります。<br />
価値観のメンテナンスを行っても、行わなくても、最終的には双方に相当の心的コストがかかります。</p>
<p>Ｂ，そもそも束縛度合いをゼロにする。相手をオール信用し、尊重する。<br />
これは束縛度合いを、限りなくゼロに近づける状態です。<br />
「オトナなんだから、相手の行動も制約しないし、自分の行動も制約されない。<br />
ただ、相手の最低限の礼儀として、好きな相手を心配させない方法として、異性と2人で飲みに行く時とかは最低限の報告をする。手放しの信頼を双方が行うことによって、さらに信用と愛を深める。<br />
浮気の防止は、自分が常にいい男、いい女であるようにするほかない。それでも、浮気されたらしょうがない。<br />
そんな異性を選んだ、自分の自己責任だ。」</p>
<p>私は束縛を否定しているわけではありません。<br />
ただ、変化し続ける2人の価値観を元に「束縛」をコントロールして継続させる方法が非常に難しく、コストもかかるし一般的ではないだろうと言うことです。<br />
このコミュニケーション手法「束縛」に関しては、そもそも行動制約というネガティブな手法である上に、その束縛の度合いとメリットを相手に表現伝達しにくいところに問題があるのです。</p>
<p>私としては「価値観が変わるたびに束縛を調整するのはめんどくさい。また、どういった理由であれ、相手の行動を制限するのは最終的に人生の全体的な幸福感を失う可能性が高い。」<br />
という判断をしています。<br />
また、Ａパターンはケンカが起きやすい。当たり前ですよね、意見が変わることになるんですから。異性との不必要なケンカは、最もエネルギーを消費します。</p>
<p>もしあなたが、恋人がコンパに行くのを禁止しているとします。<br />
では、恋人が外を歩くのは許可するのでしょうか？<br />
もし、あなたの恋人がとても可愛くて、偶然ドラマロケ中の福山雅治にナンパされる可能性はゼロでしょうか？<br />
その可能性を考えると、恋人は外に連れ出さずに、携帯電話も取り上げるべきでしょうか？<br />
それともコンパはコンパでも、超ブサイクばかり来るのが約束されているコンパなら行ってもいいのでしょうか？<br />
上記は一見極論に見えますが、相手の純潔を守るために行動を制約しているという点では共通です。</p>
<p>Ａパターンは、自分が努力成長する根拠にもなるので、非常にお得ではないでしょうか。<br />
もし最終的に別れても「私は、自分に合う人を見抜くだけの力がなかった」とすんなり自己責任にできる。<br />
自己成長や改善は、自己責任に感じることから始まります。だから、私は自己責任を選ぶことによって、更なる成長を得ることが出来る。<br />
別れても更に幸せになる可能性がアップするわけです。<br />
で、結論としては、Ａを勧めるわけです。</p>
<p>…と、思うんですが、どうなんですかね！？<br />
しょせん、生き方の問題と言われたらそれまでなんですが、私はこう思うわけですよ。<br />
このテーマ、あなたはどう思いますか？</p>
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		</item>
		<item>
		<title>●幸福論●　僕と、僕に関する全ての人が、この文章によって少しでも「人生が幸せに」なるために。その３</title>
		<link>http://shoichi.co.jp/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/345.php</link>
		<comments>http://shoichi.co.jp/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/345.php#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 08 Sep 2010 09:25:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[●幸福論●　僕と、僕に関する全ての人が、この文章によって少しでも「人生が幸せに」なるために。その３
●幸せの質と量
さて、この項目では、「もっと効率的に幸せになる方法を考えるために」、幸せの質と量という概念を考えたい。
例えば、「食欲を満たす」という行動一つとっても、人によってどんくらい幸せになるかどうかは違うだろう。
昌一は食欲を満たすことによって幸せを１０ポイント得るとしよう。
だが、松浦は同じ感情でも６ポイントの幸せかもしれない。
松浦は食欲に対してポイント交換率が良くないかわりに、家族愛を満たすことによって、１５ポイントの幸せを感じるかもしれない。
１００pの幸せを得たいと思ったら、食欲だと、昌一は１０回満たせばいい。しかし、松浦は１７回満たさないといけない。
しかし、家族愛であれば、７回満たすだけで良い、となる。
要は自分の幸せの傾向＆TPOを踏まえることが重要である。
自分の幸せの傾向＆TPOを理解することは、それはそのまま目標実現への近道にもなり得る。
何故なら、我々の目的「幸せを生み出す」をもっと詳しく書くと
「限られた時間と資源の中で、最大限の幸せを享受するために、能動的に幸せを生み出す」
となるからだ。
効率の悪い幸せの生み出し方を選んでいる時間は、今の我々には無い。
自らの「幸せの質と量」を知るためには４つのステップが必要だ。
１、まずは自分の幸せをジャンルに分けてみる。ジャンルのリストアップ。
２、最低限、各ジャンルで得たい幸せの質と量を考える。
３、自分が比較的好むジャンル、強化したいジャンルで得たい幸せの質と量を考える。
４、上記を踏まえた上で、超納得してそれを自分のTPOだと認めること。
例えば、僕の幸せのジャンルを、テキトーに下記の5つに割ったとする
１、仕事
２、恋人
３、家族愛
４、食欲
５、趣味
これにまず、順番をつける。
ここでは利便上、下記の順番が「得たい幸せの順」ということにする。
ここに、「最低限、得たい幸せの質と量」を書いていく。これは具体的であればあるほどいい。
１、仕事
→上海でＴＶ通販して、服を１商品最大１万枚売ってみたい。
そんときにはできるだけクリエイティブで、気の良いメンバー。
社内で仕事をガンガンしつつも、レクリエーションが活発。
会社の人数を闇雲に増やしたいとは思ってないので、スモールオフィスでいい。まずは50人ぐらいで、売上15億ぐらいやりたい。
利益率を上げて、今のスタッフの平均給与を15％はアップさせたい。もちろんそのためにはスタッフの能力は今の15％以上アップさせたい。
大阪と東京に各事務所を構え、もっと人脈を強化したい。
朝9時に起きて、9時半に出社して、23時まで仕事する生活を、最低60歳までは続けたい。
…とか書いていくわけです。
あとは面倒なんで、適当に書きます。
２、恋人
→仕事に理解があり、フィーリングが合う恋人が欲しい。
３、家族愛
→家族で年に一回旅行に行きたい。奴らが老人になって足腰立たなくなるまで。
４、食欲
→常に、美味しい物を食べたい。
５、趣味
→寝ても覚めても、ゲームしながらマンガと小説読みまくりたい。
どのジャンルにも、最低限ここまでは欲しいというポイントがある。
それをクリアしていないと、他のジャンルの幸せ度がどれだけ高くても、幸せを感じることはできない。
例えば、仕事がうまくいってても、妻が不倫しまくってて、家に帰ったら息子が覚醒剤しててバイオハザードのゾンビのように襲ってきたら、仕事が世界一成功してても、ぜんぜん幸せではない。
そういうことです。
で、「最低限ここまでは欲しいというポイント」を考慮した上で、絶対に得たい幸せから決めていくわけです。
例えば、
「社内で仕事をガンガンしつつも、レクリエーションが活発。」
と
「大阪と東京に各事務所を構え、もっと人脈を強化したい。」
が相反するのであれば、レクリエーションして遊ぶために、大阪に居ようとなります。
でも、それより上位の幸せ。
例えば「上海でＴＶ通販して、服を１商品最大１万枚売ってみたい。」を実現するためには東京で人脈が必要だ！！となれば、残念だがレクリエーションを諦めるか…
となるわけです。
「１、仕事」の幸せを実現するためには、「２、恋人」はどうしても両立できない。
となるかもしれませんし
「４、食欲」は順位が低いが、接待とか多いし意外と「１、仕事」とコラボレーションあるから結構実現できるぞとなります、
もちろん前述した「メトロノーム」は各目標に対して設定される。
例えば、仕事だったら
上海でのＴＶ通販に対してのメトロノームと、
職場のスタッフクオリティ向上のメトロノームと
利益率アップのメトロノームと…
と言った感じで設定されます。
よく、「満足して死ねるかどうかは、笑顔の回数で決まる」とかいう抽象的な表現がありますが、上記のようにもっと具体化した方が納得して満足できると思う。
自分が、納得感を持って決めている幸せの基準を満たす。
それ以外の「自分が幸せなことへの証明」はありませんし、認められないと僕は考えています。
●論理的～お前、理屈っぽくない？～
さて、ちょっとお話を中断して、なんで論理的にしなきゃいけないのか、を書こうと思う。
「そんなん、テキトーに感じるままに生きたらええやーん」
まあ、そういう人生もアリだし、脳味噌使わない方がラクでいいと思うのだが…
僕の考える、論理的に幸せにならなければならない理由は2つある。
１・論理的に導いた成果は再現できるから。
２・真の幸せは、一人ではなれない。
１・論理的に導いた成果は再現できるから。
論理的に導いた結果は、再現できると思う。
あなたは自分で能動的に幸せになったあと、もっともっともっと×６兆倍ぐらい幸せになる必要があると思う。そうですよね？
幸せになったら、もっと幸せにならないといけない。
それが同じやり方なら、もっとラクで、たくさんの幸せを生み出すことが出来ると思う。
そしてヘコんだ時。もし、何か天変地異が起こって、超不幸な状態になっても、同じやり方でコツコツやれば復活して幸せになれると思う。
自殺しようかと思うぐらいヘコんでも、「これが地獄の底で、こっからまた同じやり方でコツコツやって幸せになろー」と考えることができたら、自殺なんてしにくくなると思う。
２・真の幸せは、一人ではなれない。
家族、恋人、友人、同僚…
周囲の人々が幸せにならないと、自分も真の幸せになれない。
あなたが超幸せになっても、自分の好きな人が全員不幸せだったらどうしますか？
それはあなたにとって、「最高に幸せな状態」ではないと思う。
自分が好きな人間の笑顔は、自分を幸せにする。
自分が人を幸せにしたら、その分幸せが戻ってくる。（確定）
他人を幸せにするということは、自分ひとりで幸せになろうとするよりも、実は非常に効率よく幸せになれる方法だと思う。
じゃあ、どーやって他人を幸せにするか。
気づけばあなたはその方法を持っているじゃないですか。
自分で「幸せになる方法」が確立されていれば、それを他人に当てはめて他人を幸せにすることができますよね！！
あなたが能動的に幸せになって、その方法を使って他人が幸せになれば、これまた自分も幸せになれる。
●全体的に、守って欲しいマインド
さて、色々書いてきましたが、どーでしょうか。
僕が過ごしてきた３１年というクソ短い人生で学んだというか、試して良かったことを初めて文章にしたわけですが。
「おー、ショーイチなかなかええこと言うやんけー。ちょっとだけ、俺の人生に取り入れたるわー」
と、恐縮にも感じていただけた方に、もう一言。
全体的に守った方が効率いいことがあると思うんです。
それは２つ。
１、とにかく納得感を最優先にする。
２、安易に相対的価値観に流れない。
前に書いた、２つの項目。
・幸せの質と量
・幸せを感じる方法
上記の項目で、自分の価値観を変え、現状を整理し、より効率的に幸せを享受する方法を書きましたが、結局、自分で納得していないと意味が無いのです。
例えば、あなたが自分の家族がそんなに好きでもないとします。
それなのに、「安易な相対的価値観」＝しょーもない社会通念や友人の意見に流されて、「家族は大切だ！」とか考えてみたり
仕事がそんな好きでもないのに、「仕事が一番だ！」と言ってもしんどいだけなのです。
どんなにセロリが栄養があって、ローコストで、エコロジカルで、世界を救うカッコいい食物だったとしても、
あなたにとってセロリがどーやっても納得できないぐらいとんでもなくまずけりゃ、食っても幸せにはなれないんだよバカヤロー！！となる。
そーゆーことなんです。
とにかく、「納得感」はとても重要です。
幸せの定義は「自分が幸せと感じること」であり、幸せになる事象→感情は価値観によって振り分けされるのですから。
価値観は、納得感を持たないと変更されません。
そして、納得感は、意志の強さと決意に繋がります。
サンプルケースとして、僕の話をしましょう。
僕は仕事がキチガイのように大好きですが、当たり前ですが、元々は仕事がそんなに好きではありませんでした。
仕事よりも、ニートのように家でごろごろゲームしながらピザとコーラ飲んでいる方が好きでした。
では、何故仕事が好きになったのかというと、完全な「納得感を伴った、勝手な思い込みによる、価値観の変化」です。
ゲームずっとしたいなー。死ぬまでピザとコーラとゲームでいい。
↓
でも、無収入では難しいし、ゲームでの幸せしか得られない。
俺は、家族愛も、グルメも、恋人も欲しい。
ゲームだけのために生まれてきたんじゃない！！
↓
あれ、ゲームを職業にしたら良くない！？。
↓
でも、どー考えてもゲームは儲からんし、恋人も制限されるし、好きなものを好きなときに食えるような気がしない。
↓
仕事しながらゲームするしか無いか？でもそれって、中途半端だな。
中途半端なことは、納得できない。
もっと納得できる、建設的な方法でないと、僕の素晴らしい人生に合わない。
↓
よく考えたら仕事って、ゲームっぽいところもあるな。
↓
よく考えたら、ゲームしている奴よりも、世界のビジネスマンの方がよっぽど強敵ばかりだな。
しかもゲームは長くても1時間の対戦だけど、ビジネスは24時間だ！しかも勝手にルール変えられたりもない。
↓
そしたら、もっと強い奴らと戦ったほうが面白い！ビジネスの方がルール無用だし。
ビジネスで勝てば、おいしいご飯も、いい恋人も手に入る可能性が上がる！！親も喜ぶ！！友人も俺のことを自慢できる！！ゲームよりビジネスだ！！ニャー！！！
となったわけです。
本当に変な考え方ですが、自分のいいように価値観を変えてしまいました。
が、それでいいんです。
自分が心から納得していれば、相対的な価値観や、世間の言うことは、あなたの幸せと全く関係有りませんので。
●まとめ
まとめると要点は下記です。
幸せの定義は「自分が幸せと感じること」であり、その定義は価値観によって創造される。
感じたい幸せの質と量を納得感を持って取り決め、それに向かって価値観、感情、をカイゼンする。
ただ、したり顔でまとめるのはカンタンですが、「あー、そやねー。ショーイチの言うとおりやねー。」で終わる。
２行の文章を読んでも、納得感が薄いわけです。
時間使って、文章読んでもらって、サンプルケース上げて…
それで初めて、
「ほんのちょっとだけ」
人生をカイゼンしてみようかなと思うわけです。
「ほんのちょっとだけ」でも、そう思ってくれたら、それだけで僕がこの分書いた意味ありますね。
久しぶりに長文を書きました。2ヶ月ぐらいちょこちょこ書いてましたｗ
書くのよりも加筆修正に時間がかかった。構成と文体整えてたが、もーいいや！ということでリリースしました。
この文を書こうと思った理由は下記。
・この文を読んで、僕の知人が少しでも幸せになってくれると嬉しい。そして、いつか出会う、僕の子孫に伝えたい。
・僕自身が迷った時の備忘録に。
・この文章を人に読ませることによって、ツッコミをもらい、もっと効率的に幸せになる方法を構築したい。
です。
山本昌一
shoichiya@gmail.com
コメント＆レスまってますー(^^
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>●幸福論●　僕と、僕に関する全ての人が、この文章によって少しでも「人生が幸せに」なるために。その３</p>
<p>●幸せの質と量<br />
さて、この項目では、「もっと効率的に幸せになる方法を考えるために」、幸せの質と量という概念を考えたい。</p>
<p>例えば、「食欲を満たす」という行動一つとっても、人によってどんくらい幸せになるかどうかは違うだろう。<br />
昌一は食欲を満たすことによって幸せを１０ポイント得るとしよう。<br />
だが、松浦は同じ感情でも６ポイントの幸せかもしれない。<br />
松浦は食欲に対してポイント交換率が良くないかわりに、家族愛を満たすことによって、１５ポイントの幸せを感じるかもしれない。</p>
<p>１００pの幸せを得たいと思ったら、食欲だと、昌一は１０回満たせばいい。しかし、松浦は１７回満たさないといけない。<br />
しかし、家族愛であれば、７回満たすだけで良い、となる。</p>
<p>要は自分の幸せの傾向＆TPOを踏まえることが重要である。<br />
自分の幸せの傾向＆TPOを理解することは、それはそのまま目標実現への近道にもなり得る。<br />
何故なら、我々の目的「幸せを生み出す」をもっと詳しく書くと</p>
<p>「限られた時間と資源の中で、最大限の幸せを享受するために、能動的に幸せを生み出す」</p>
<p>となるからだ。<br />
効率の悪い幸せの生み出し方を選んでいる時間は、今の我々には無い。</p>
<p>自らの「幸せの質と量」を知るためには４つのステップが必要だ。</p>
<p>１、まずは自分の幸せをジャンルに分けてみる。ジャンルのリストアップ。<br />
２、最低限、各ジャンルで得たい幸せの質と量を考える。<br />
３、自分が比較的好むジャンル、強化したいジャンルで得たい幸せの質と量を考える。<br />
４、上記を踏まえた上で、超納得してそれを自分のTPOだと認めること。</p>
<p>例えば、僕の幸せのジャンルを、テキトーに下記の5つに割ったとする<br />
１、仕事<br />
２、恋人<br />
３、家族愛<br />
４、食欲<br />
５、趣味</p>
<p>これにまず、順番をつける。<br />
ここでは利便上、下記の順番が「得たい幸せの順」ということにする。<br />
ここに、「最低限、得たい幸せの質と量」を書いていく。これは具体的であればあるほどいい。<br />
１、仕事<br />
→上海でＴＶ通販して、服を１商品最大１万枚売ってみたい。<br />
そんときにはできるだけクリエイティブで、気の良いメンバー。<br />
社内で仕事をガンガンしつつも、レクリエーションが活発。<br />
会社の人数を闇雲に増やしたいとは思ってないので、スモールオフィスでいい。まずは50人ぐらいで、売上15億ぐらいやりたい。<br />
利益率を上げて、今のスタッフの平均給与を15％はアップさせたい。もちろんそのためにはスタッフの能力は今の15％以上アップさせたい。<br />
大阪と東京に各事務所を構え、もっと人脈を強化したい。<br />
朝9時に起きて、9時半に出社して、23時まで仕事する生活を、最低60歳までは続けたい。<br />
…とか書いていくわけです。<br />
あとは面倒なんで、適当に書きます。</p>
<p>２、恋人<br />
→仕事に理解があり、フィーリングが合う恋人が欲しい。<br />
３、家族愛<br />
→家族で年に一回旅行に行きたい。奴らが老人になって足腰立たなくなるまで。<br />
４、食欲<br />
→常に、美味しい物を食べたい。<br />
５、趣味<br />
→寝ても覚めても、ゲームしながらマンガと小説読みまくりたい。</p>
<p>どのジャンルにも、最低限ここまでは欲しいというポイントがある。<br />
それをクリアしていないと、他のジャンルの幸せ度がどれだけ高くても、幸せを感じることはできない。<br />
例えば、仕事がうまくいってても、妻が不倫しまくってて、家に帰ったら息子が覚醒剤しててバイオハザードのゾンビのように襲ってきたら、仕事が世界一成功してても、ぜんぜん幸せではない。<br />
そういうことです。</p>
<p>で、「最低限ここまでは欲しいというポイント」を考慮した上で、絶対に得たい幸せから決めていくわけです。</p>
<p>例えば、<br />
「社内で仕事をガンガンしつつも、レクリエーションが活発。」<br />
と<br />
「大阪と東京に各事務所を構え、もっと人脈を強化したい。」</p>
<p>が相反するのであれば、レクリエーションして遊ぶために、大阪に居ようとなります。<br />
でも、それより上位の幸せ。<br />
例えば「上海でＴＶ通販して、服を１商品最大１万枚売ってみたい。」を実現するためには東京で人脈が必要だ！！となれば、残念だがレクリエーションを諦めるか…<br />
となるわけです。</p>
<p>「１、仕事」の幸せを実現するためには、「２、恋人」はどうしても両立できない。<br />
となるかもしれませんし<br />
「４、食欲」は順位が低いが、接待とか多いし意外と「１、仕事」とコラボレーションあるから結構実現できるぞとなります、</p>
<p>もちろん前述した「メトロノーム」は各目標に対して設定される。<br />
例えば、仕事だったら<br />
上海でのＴＶ通販に対してのメトロノームと、<br />
職場のスタッフクオリティ向上のメトロノームと<br />
利益率アップのメトロノームと…<br />
と言った感じで設定されます。</p>
<p>よく、「満足して死ねるかどうかは、笑顔の回数で決まる」とかいう抽象的な表現がありますが、上記のようにもっと具体化した方が納得して満足できると思う。</p>
<p>自分が、納得感を持って決めている幸せの基準を満たす。<br />
それ以外の「自分が幸せなことへの証明」はありませんし、認められないと僕は考えています。</p>
<p>●論理的～お前、理屈っぽくない？～<br />
さて、ちょっとお話を中断して、なんで論理的にしなきゃいけないのか、を書こうと思う。<br />
「そんなん、テキトーに感じるままに生きたらええやーん」<br />
まあ、そういう人生もアリだし、脳味噌使わない方がラクでいいと思うのだが…</p>
<p>僕の考える、論理的に幸せにならなければならない理由は2つある。<br />
１・論理的に導いた成果は再現できるから。<br />
２・真の幸せは、一人ではなれない。</p>
<p>１・論理的に導いた成果は再現できるから。<br />
論理的に導いた結果は、再現できると思う。<br />
あなたは自分で能動的に幸せになったあと、もっともっともっと×６兆倍ぐらい幸せになる必要があると思う。そうですよね？<br />
幸せになったら、もっと幸せにならないといけない。<br />
それが同じやり方なら、もっとラクで、たくさんの幸せを生み出すことが出来ると思う。<br />
そしてヘコんだ時。もし、何か天変地異が起こって、超不幸な状態になっても、同じやり方でコツコツやれば復活して幸せになれると思う。<br />
自殺しようかと思うぐらいヘコんでも、「これが地獄の底で、こっからまた同じやり方でコツコツやって幸せになろー」と考えることができたら、自殺なんてしにくくなると思う。</p>
<p>２・真の幸せは、一人ではなれない。<br />
家族、恋人、友人、同僚…<br />
周囲の人々が幸せにならないと、自分も真の幸せになれない。<br />
あなたが超幸せになっても、自分の好きな人が全員不幸せだったらどうしますか？<br />
それはあなたにとって、「最高に幸せな状態」ではないと思う。</p>
<p>自分が好きな人間の笑顔は、自分を幸せにする。<br />
自分が人を幸せにしたら、その分幸せが戻ってくる。（確定）<br />
他人を幸せにするということは、自分ひとりで幸せになろうとするよりも、実は非常に効率よく幸せになれる方法だと思う。</p>
<p>じゃあ、どーやって他人を幸せにするか。<br />
気づけばあなたはその方法を持っているじゃないですか。<br />
自分で「幸せになる方法」が確立されていれば、それを他人に当てはめて他人を幸せにすることができますよね！！<br />
あなたが能動的に幸せになって、その方法を使って他人が幸せになれば、これまた自分も幸せになれる。</p>
<p>●全体的に、守って欲しいマインド<br />
さて、色々書いてきましたが、どーでしょうか。<br />
僕が過ごしてきた３１年というクソ短い人生で学んだというか、試して良かったことを初めて文章にしたわけですが。<br />
「おー、ショーイチなかなかええこと言うやんけー。ちょっとだけ、俺の人生に取り入れたるわー」<br />
と、恐縮にも感じていただけた方に、もう一言。<br />
全体的に守った方が効率いいことがあると思うんです。<br />
それは２つ。</p>
<p>１、とにかく納得感を最優先にする。<br />
２、安易に相対的価値観に流れない。</p>
<p>前に書いた、２つの項目。<br />
・幸せの質と量<br />
・幸せを感じる方法<br />
上記の項目で、自分の価値観を変え、現状を整理し、より効率的に幸せを享受する方法を書きましたが、結局、自分で納得していないと意味が無いのです。</p>
<p>例えば、あなたが自分の家族がそんなに好きでもないとします。<br />
それなのに、「安易な相対的価値観」＝しょーもない社会通念や友人の意見に流されて、「家族は大切だ！」とか考えてみたり<br />
仕事がそんな好きでもないのに、「仕事が一番だ！」と言ってもしんどいだけなのです。<br />
どんなにセロリが栄養があって、ローコストで、エコロジカルで、世界を救うカッコいい食物だったとしても、<br />
あなたにとってセロリがどーやっても納得できないぐらいとんでもなくまずけりゃ、食っても幸せにはなれないんだよバカヤロー！！となる。<br />
そーゆーことなんです。</p>
<p>とにかく、「納得感」はとても重要です。<br />
幸せの定義は「自分が幸せと感じること」であり、幸せになる事象→感情は価値観によって振り分けされるのですから。<br />
価値観は、納得感を持たないと変更されません。<br />
そして、納得感は、意志の強さと決意に繋がります。</p>
<p>サンプルケースとして、僕の話をしましょう。<br />
僕は仕事がキチガイのように大好きですが、当たり前ですが、元々は仕事がそんなに好きではありませんでした。<br />
仕事よりも、ニートのように家でごろごろゲームしながらピザとコーラ飲んでいる方が好きでした。<br />
では、何故仕事が好きになったのかというと、完全な「納得感を伴った、勝手な思い込みによる、価値観の変化」です。</p>
<p>ゲームずっとしたいなー。死ぬまでピザとコーラとゲームでいい。<br />
↓<br />
でも、無収入では難しいし、ゲームでの幸せしか得られない。<br />
俺は、家族愛も、グルメも、恋人も欲しい。<br />
ゲームだけのために生まれてきたんじゃない！！<br />
↓<br />
あれ、ゲームを職業にしたら良くない！？。<br />
↓<br />
でも、どー考えてもゲームは儲からんし、恋人も制限されるし、好きなものを好きなときに食えるような気がしない。<br />
↓<br />
仕事しながらゲームするしか無いか？でもそれって、中途半端だな。<br />
中途半端なことは、納得できない。<br />
もっと納得できる、建設的な方法でないと、僕の素晴らしい人生に合わない。<br />
↓<br />
よく考えたら仕事って、ゲームっぽいところもあるな。<br />
↓<br />
よく考えたら、ゲームしている奴よりも、世界のビジネスマンの方がよっぽど強敵ばかりだな。<br />
しかもゲームは長くても1時間の対戦だけど、ビジネスは24時間だ！しかも勝手にルール変えられたりもない。<br />
↓<br />
そしたら、もっと強い奴らと戦ったほうが面白い！ビジネスの方がルール無用だし。<br />
ビジネスで勝てば、おいしいご飯も、いい恋人も手に入る可能性が上がる！！親も喜ぶ！！友人も俺のことを自慢できる！！ゲームよりビジネスだ！！ニャー！！！</p>
<p>となったわけです。<br />
本当に変な考え方ですが、自分のいいように価値観を変えてしまいました。</p>
<p>が、それでいいんです。</p>
<p>自分が心から納得していれば、相対的な価値観や、世間の言うことは、あなたの幸せと全く関係有りませんので。</p>
<p>●まとめ<br />
まとめると要点は下記です。</p>
<p>幸せの定義は「自分が幸せと感じること」であり、その定義は価値観によって創造される。<br />
感じたい幸せの質と量を納得感を持って取り決め、それに向かって価値観、感情、をカイゼンする。</p>
<p>ただ、したり顔でまとめるのはカンタンですが、「あー、そやねー。ショーイチの言うとおりやねー。」で終わる。<br />
２行の文章を読んでも、納得感が薄いわけです。</p>
<p>時間使って、文章読んでもらって、サンプルケース上げて…<br />
それで初めて、</p>
<p>「ほんのちょっとだけ」</p>
<p>人生をカイゼンしてみようかなと思うわけです。</p>
<p>「ほんのちょっとだけ」でも、そう思ってくれたら、それだけで僕がこの分書いた意味ありますね。</p>
<p>久しぶりに長文を書きました。2ヶ月ぐらいちょこちょこ書いてましたｗ<br />
書くのよりも加筆修正に時間がかかった。構成と文体整えてたが、もーいいや！ということでリリースしました。</p>
<p>この文を書こうと思った理由は下記。<br />
・この文を読んで、僕の知人が少しでも幸せになってくれると嬉しい。そして、いつか出会う、僕の子孫に伝えたい。<br />
・僕自身が迷った時の備忘録に。<br />
・この文章を人に読ませることによって、ツッコミをもらい、もっと効率的に幸せになる方法を構築したい。<br />
です。</p>
<p>山本昌一<br />
shoichiya@gmail.com<br />
コメント＆レスまってますー(^^</p>
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		</item>
		<item>
		<title>●幸福論●　僕と、僕に関する全ての人が、この文章によって少しでも「人生が幸せに」なるために。その２</title>
		<link>http://shoichi.co.jp/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/342.php</link>
		<comments>http://shoichi.co.jp/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/342.php#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 08 Sep 2010 09:24:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://shoichi.co.jp/?p=342</guid>
		<description><![CDATA[●幸福論●　僕と、僕に関する全ての人が、この文章によって少しでも「人生が幸せに」なるために。その２
●１事象→２感情
次に「１事象→２感情」のラインでのカイゼンを考えよう。
上記では、「自分の中で幸せカテゴリに分類される「感情」を増やそう。」と書いた。
幸せカテゴリに分類される「感情」を仮に「幸せの素」と呼ぼう。
では、次にしなければいけないのは、「幸せな感情（幸せの素）になる事象の種類を増やそう。」だろう。
上記２つは似ているように感じるが、全然違う。これも、価値観の問題なのである。
○○のように感じる、ということは、どういう事だろうか。
何かの事象を経験した瞬間に、その当事者の価値観を通してその事象を判断し、価値観に準じた感情を感じるということだろう。
セロリを見る、という行動においても、
昌一という人だったら「セロリやん！めっちゃうまそう！！」
松浦という人だったら「セロリやん！やばい、めっちゃマズいし嫌い！俺の前から姿を消してくれ！！」
となる。山本と松浦ではセロリに対する価値観が違うのだから、当然だ。
この場合、超単純に考えると、セロリが好きな、昌一の方が幸せである。
好き嫌いは、無い方が幸せなのだ。
全部好き、が一番幸せだと思う。
上記のセロリは非常に単純な事象で、Yes＆Noしかない。非常にカンタンだ。
幸せを増やすためには、セロリを好きになればいい。
だが、もーちょっとヒネった事象はどうだろうか？
少し詳しく書こう。何回も書き直したが、パズルのようなものなのでわかりやすい表現ができなかった。
反省します。。。
よかったら、じっくり読んでください。
例えば、松浦が昌一を褒める、という事象があるとする。
これにはまず2つの解釈がある。
１・昌一が素直な価値観だったら、「ほめてくれてありがとー」と思う
２・昌一がひねくれた価値観なら、「こいつ、心にもないお世辞言いやがって」となる。
この2つのパターンの場合を見ると、１の方が幸せであろう。
１の昌一の心の中は、嬉しい気持ちでいっぱい。幸せの花畑が咲いている。
ただ、物事は単純ではない。
もし、松浦が心のなかで「昌一はバカだから、お世辞を言っておけば喜んで食事をおごってくれるだろう」と思っていたらどうだろうか。
松浦の嘘を見破っている２が幸せ？
いや、そんなことはない。それは価値観次第だと思う。
真実は「松浦は昌一を褒めた。だが、松浦が昌一を褒めたのは嘘だったと、後から分かった。」
と仮定して話を進めよう。
まず、そもそも松浦に褒めてもらって嬉しいか、という価値観のフィルターがある。これは最初に話したYes＆Noだ。
それに加えて、松浦がウソを言っていた場合に対しての価値観のフィルター。2つ目のYes＆Noだ。
これによって、最低２×２＝４通りの捉え方が生じる。
例として、下記に４つの捉え方を書いてみる。
「松浦は昌一を褒めた。だが、松浦が昌一を褒めたのは嘘だったと、後から分かった。」
Ａ、松浦が昌一を褒めてくれた。昌一はすごい幸せを感じた。
でも、松浦は、実は嘘を言っていた。
それでも、昌一はコミュニケーションとして褒めてもらったことに幸せを感じる。
Ｂ、松浦が昌一を褒めてくれた。昌一はすごい幸せを感じた。
でも、松浦は、実は嘘を言っていた。
昌一は、嘘を言っていた松浦に敵意を感じた。幸せではなくなった。
Ｃ、松浦が昌一を褒めてくれた。でも、昌一は松浦が嫌いなので、ちっとも幸せには感じなかった。
でも、松浦は、実は嘘を言っていた。
それでも、昌一はコミュニケーションとして褒めてもらったことに幸せを感じる。
Ｄ、松浦が昌一を褒めてくれた。でも、昌一は松浦が嫌いなので、ちっとも幸せには感じなかった。
松浦は、実は嘘を言っていた。どっちにしても松浦が嫌いだから、褒めてもらっても全然嬉しくなかった。
２つの価値観が関与しているおかげで、こんな簡単な問いでも、４つの感情に分かれる。
実際は、Ｃの論理は矛盾しているので、Ａ，Ｂ，Ｄのどれかになる。
事象はあなたの価値観によって必ず、Ａ，Ｂ，Ｄのどれかに振り分けられるのだ。
ゼッタイに。
では、最善の選択はどれだろうか。
この場合、他の要素を全て排して考えると、幸せ度が高いのはやはりＡ→Ｂ→Ｄの順である。
他の要素や、どんな人生を送りたいかという判断にも拠るが、この事象だけで見ると、
我々は、我々の幸せのために、Ａの考え方になるべきだろう。
これが、「幸せの素となる、事象の種類を増やす」ということだと考える。
仏教とかキリスト教とか、色んな宗教で色んな似たような教えがあるが、基本はこういう意味なんだと思う。
同じことを、観点を変えて言っている。
もう一度おさらい。
まずは、「自分の中で幸せカテゴリに分類される「感情＝幸せの素」を増やそう。」
そして、「幸せの素になる事象の種類を増やそう。」
１事象→２感情→３幸せ
そうすることによって、日常的に、１→２→３となることが増え、具体的に、貴方の人生がもっと能動的に幸せになるのだと思う。
●幸せのハードルを下げる
さて、同じ事象、同じ価値観でもっとラクに幸せになる方法がある。
それは幸せのハードルを下げる、という方法だ。
例えば貯金に関して、俺は100億ないと心配で夜も眠れない！という金持ちよりも、財布に5000円はいってたら取り敢えず安心というホームレスのおじさんの方が幸せになる可能性は高い。
カンタンに幸せになろうと思ったら、価値観をホームレスのおじさんにすればいいわけだ。
そういう訳で、幸せの目標を引き下げる、という「幸せに近づく方法」がある。
結婚するときに、「まあもう他におらんし、この人と結婚でいいか」と結婚してしまうのはこの「幸せに近づく方法」の典型だろう。
「幸せの目標を引き下げて、幸せに近づく」。
きっちり納得感を持って行えば、これは悪くない方法だと思うし、ハードルを一度も下げない人生なんて無いと思う。
と、いうわけで、「幸せのハードルを下げる」と「幸せに近づく」という公式が成り立つ。
だが、ちょっと待って欲しい。
逆に「幸せのハードルを上げる」とどうなるのだろうか。
皆様ご明察の通り、「幸せのハードルを上げても、幸せから遠ざかる」わけではない。
これは後のメトロノームの章で書こうと思う。
●幸せを感じている状態と、幸せを追い求めている状態。どちらが幸せなのか。～メトロノーム～
幸せには２つの状態がある。
Ａ、幸せに到達せず、幸せを追い求めている状態
Ｂ、幸せに到達し、幸せを感じている状態
この2つの状態である。
これを、努力モードと満足モードと呼ぼう。パチンコみたいだな。
Ａが努力モード
Ｂが満足モード
我々は幸せに関して、まるでメトロノームのように、このＡＢモードをふらふらしている。
例えば、
Ａ、年収５０００万という目標に到達せず、幸せを追い求めている状態
Ｂ、年収５０００万という目標に到達し、幸せを感じている状態
である。
努力モードから満足モードに移行する方法は２つある。
１、自分が設定した、幸せのハードルに到達する。
→年収５０００万に到達する。
２、自分が設定した、幸せのハードルを引き下げる。
→年収３５００万でもーいいやと価値観を変える。
満足モードから努力モードに移行する方法は１つある。
３、自分が到達した、幸せのハードルを引き上げる。
→年収５０００万になったから、次は年収１億円を目指す。
せっかく頑張って満足モードに入ったのに、なんでワザワザ「３、自分が到達した、幸せのハードルを引き上げる。」をして辛く厳しい努力モードにならなきゃならないかというと、
「あなたがドＭだから。」
ではなく、、、
目標を上げ、それに到達した方が、より強い幸せを得れるからである。
では、際限なく幸せのハードルを引き上げてもいいのかというと、そうでもない。
到達できないレベルまでハードルを引き上げると、死ぬまでその分野で幸せを得ることができなくなってしまう。
それは、総じて人生の幸せの総量を減らすことになる。
ここで上記の「●幸せのハードルを下げる」が出てくるわけである。
もう一つ議論しなければならないことがある。
今まで満足モードが幸せ、努力モードが幸せではない、ような書き方をしてきたが、本当に努力モードは幸せではないのであろうか。
幸せの定義は「自分が幸せと感じること」である。
では、努力モードも幸せである、と捉えることはできないのだろうか。
つまり、「自分が納得して設定した目標を追い求めている状態」は幸せな状態と定義する、または価値観をそういうふうにカイゼンするべきなのである。
そうすることによって、マジで最強な状態になる。幸せを追い求めている状態では、毎日ささやかな幸せを感じ、目標の到達したときには莫大な幸せを感じることができる。
総じて、常に「幸せな状態」でいられるのだ。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>●幸福論●　僕と、僕に関する全ての人が、この文章によって少しでも「人生が幸せに」なるために。その２</p>
<p>●１事象→２感情</p>
<p>次に「１事象→２感情」のラインでのカイゼンを考えよう。<br />
上記では、「自分の中で幸せカテゴリに分類される「感情」を増やそう。」と書いた。<br />
幸せカテゴリに分類される「感情」を仮に「幸せの素」と呼ぼう。<br />
では、次にしなければいけないのは、「幸せな感情（幸せの素）になる事象の種類を増やそう。」だろう。<br />
上記２つは似ているように感じるが、全然違う。これも、価値観の問題なのである。</p>
<p>○○のように感じる、ということは、どういう事だろうか。<br />
何かの事象を経験した瞬間に、その当事者の価値観を通してその事象を判断し、価値観に準じた感情を感じるということだろう。</p>
<p>セロリを見る、という行動においても、<br />
昌一という人だったら「セロリやん！めっちゃうまそう！！」<br />
松浦という人だったら「セロリやん！やばい、めっちゃマズいし嫌い！俺の前から姿を消してくれ！！」<br />
となる。山本と松浦ではセロリに対する価値観が違うのだから、当然だ。</p>
<p>この場合、超単純に考えると、セロリが好きな、昌一の方が幸せである。<br />
好き嫌いは、無い方が幸せなのだ。<br />
全部好き、が一番幸せだと思う。</p>
<p>上記のセロリは非常に単純な事象で、Yes＆Noしかない。非常にカンタンだ。<br />
幸せを増やすためには、セロリを好きになればいい。<br />
だが、もーちょっとヒネった事象はどうだろうか？<br />
少し詳しく書こう。何回も書き直したが、パズルのようなものなのでわかりやすい表現ができなかった。<br />
反省します。。。<br />
よかったら、じっくり読んでください。</p>
<p>例えば、松浦が昌一を褒める、という事象があるとする。<br />
これにはまず2つの解釈がある。<br />
１・昌一が素直な価値観だったら、「ほめてくれてありがとー」と思う<br />
２・昌一がひねくれた価値観なら、「こいつ、心にもないお世辞言いやがって」となる。<br />
この2つのパターンの場合を見ると、１の方が幸せであろう。<br />
１の昌一の心の中は、嬉しい気持ちでいっぱい。幸せの花畑が咲いている。</p>
<p>ただ、物事は単純ではない。<br />
もし、松浦が心のなかで「昌一はバカだから、お世辞を言っておけば喜んで食事をおごってくれるだろう」と思っていたらどうだろうか。<br />
松浦の嘘を見破っている２が幸せ？<br />
いや、そんなことはない。それは価値観次第だと思う。</p>
<p>真実は「松浦は昌一を褒めた。だが、松浦が昌一を褒めたのは嘘だったと、後から分かった。」<br />
と仮定して話を進めよう。</p>
<p>まず、そもそも松浦に褒めてもらって嬉しいか、という価値観のフィルターがある。これは最初に話したYes＆Noだ。<br />
それに加えて、松浦がウソを言っていた場合に対しての価値観のフィルター。2つ目のYes＆Noだ。<br />
これによって、最低２×２＝４通りの捉え方が生じる。<br />
例として、下記に４つの捉え方を書いてみる。</p>
<p>「松浦は昌一を褒めた。だが、松浦が昌一を褒めたのは嘘だったと、後から分かった。」</p>
<p>Ａ、松浦が昌一を褒めてくれた。昌一はすごい幸せを感じた。<br />
でも、松浦は、実は嘘を言っていた。<br />
それでも、昌一はコミュニケーションとして褒めてもらったことに幸せを感じる。</p>
<p>Ｂ、松浦が昌一を褒めてくれた。昌一はすごい幸せを感じた。<br />
でも、松浦は、実は嘘を言っていた。<br />
昌一は、嘘を言っていた松浦に敵意を感じた。幸せではなくなった。</p>
<p>Ｃ、松浦が昌一を褒めてくれた。でも、昌一は松浦が嫌いなので、ちっとも幸せには感じなかった。<br />
でも、松浦は、実は嘘を言っていた。<br />
それでも、昌一はコミュニケーションとして褒めてもらったことに幸せを感じる。</p>
<p>Ｄ、松浦が昌一を褒めてくれた。でも、昌一は松浦が嫌いなので、ちっとも幸せには感じなかった。<br />
松浦は、実は嘘を言っていた。どっちにしても松浦が嫌いだから、褒めてもらっても全然嬉しくなかった。</p>
<p>２つの価値観が関与しているおかげで、こんな簡単な問いでも、４つの感情に分かれる。</p>
<p>実際は、Ｃの論理は矛盾しているので、Ａ，Ｂ，Ｄのどれかになる。<br />
事象はあなたの価値観によって必ず、Ａ，Ｂ，Ｄのどれかに振り分けられるのだ。<br />
ゼッタイに。</p>
<p>では、最善の選択はどれだろうか。<br />
この場合、他の要素を全て排して考えると、幸せ度が高いのはやはりＡ→Ｂ→Ｄの順である。<br />
他の要素や、どんな人生を送りたいかという判断にも拠るが、この事象だけで見ると、<br />
我々は、我々の幸せのために、Ａの考え方になるべきだろう。</p>
<p>これが、「幸せの素となる、事象の種類を増やす」ということだと考える。</p>
<p>仏教とかキリスト教とか、色んな宗教で色んな似たような教えがあるが、基本はこういう意味なんだと思う。<br />
同じことを、観点を変えて言っている。</p>
<p>もう一度おさらい。<br />
まずは、「自分の中で幸せカテゴリに分類される「感情＝幸せの素」を増やそう。」<br />
そして、「幸せの素になる事象の種類を増やそう。」</p>
<p>１事象→２感情→３幸せ</p>
<p>そうすることによって、日常的に、１→２→３となることが増え、具体的に、貴方の人生がもっと能動的に幸せになるのだと思う。</p>
<p>●幸せのハードルを下げる<br />
さて、同じ事象、同じ価値観でもっとラクに幸せになる方法がある。<br />
それは幸せのハードルを下げる、という方法だ。</p>
<p>例えば貯金に関して、俺は100億ないと心配で夜も眠れない！という金持ちよりも、財布に5000円はいってたら取り敢えず安心というホームレスのおじさんの方が幸せになる可能性は高い。<br />
カンタンに幸せになろうと思ったら、価値観をホームレスのおじさんにすればいいわけだ。<br />
そういう訳で、幸せの目標を引き下げる、という「幸せに近づく方法」がある。<br />
結婚するときに、「まあもう他におらんし、この人と結婚でいいか」と結婚してしまうのはこの「幸せに近づく方法」の典型だろう。</p>
<p>「幸せの目標を引き下げて、幸せに近づく」。<br />
きっちり納得感を持って行えば、これは悪くない方法だと思うし、ハードルを一度も下げない人生なんて無いと思う。</p>
<p>と、いうわけで、「幸せのハードルを下げる」と「幸せに近づく」という公式が成り立つ。<br />
だが、ちょっと待って欲しい。<br />
逆に「幸せのハードルを上げる」とどうなるのだろうか。<br />
皆様ご明察の通り、「幸せのハードルを上げても、幸せから遠ざかる」わけではない。<br />
これは後のメトロノームの章で書こうと思う。</p>
<p>●幸せを感じている状態と、幸せを追い求めている状態。どちらが幸せなのか。～メトロノーム～</p>
<p>幸せには２つの状態がある。<br />
Ａ、幸せに到達せず、幸せを追い求めている状態<br />
Ｂ、幸せに到達し、幸せを感じている状態<br />
この2つの状態である。</p>
<p>これを、努力モードと満足モードと呼ぼう。パチンコみたいだな。<br />
Ａが努力モード<br />
Ｂが満足モード<br />
我々は幸せに関して、まるでメトロノームのように、このＡＢモードをふらふらしている。</p>
<p>例えば、<br />
Ａ、年収５０００万という目標に到達せず、幸せを追い求めている状態<br />
Ｂ、年収５０００万という目標に到達し、幸せを感じている状態<br />
である。</p>
<p>努力モードから満足モードに移行する方法は２つある。<br />
１、自分が設定した、幸せのハードルに到達する。<br />
→年収５０００万に到達する。</p>
<p>２、自分が設定した、幸せのハードルを引き下げる。<br />
→年収３５００万でもーいいやと価値観を変える。</p>
<p>満足モードから努力モードに移行する方法は１つある。<br />
３、自分が到達した、幸せのハードルを引き上げる。<br />
→年収５０００万になったから、次は年収１億円を目指す。</p>
<p>せっかく頑張って満足モードに入ったのに、なんでワザワザ「３、自分が到達した、幸せのハードルを引き上げる。」をして辛く厳しい努力モードにならなきゃならないかというと、</p>
<p>「あなたがドＭだから。」</p>
<p>ではなく、、、<br />
目標を上げ、それに到達した方が、より強い幸せを得れるからである。<br />
では、際限なく幸せのハードルを引き上げてもいいのかというと、そうでもない。<br />
到達できないレベルまでハードルを引き上げると、死ぬまでその分野で幸せを得ることができなくなってしまう。<br />
それは、総じて人生の幸せの総量を減らすことになる。<br />
ここで上記の「●幸せのハードルを下げる」が出てくるわけである。</p>
<p>もう一つ議論しなければならないことがある。<br />
今まで満足モードが幸せ、努力モードが幸せではない、ような書き方をしてきたが、本当に努力モードは幸せではないのであろうか。</p>
<p>幸せの定義は「自分が幸せと感じること」である。</p>
<p>では、努力モードも幸せである、と捉えることはできないのだろうか。</p>
<p>つまり、「自分が納得して設定した目標を追い求めている状態」は幸せな状態と定義する、または価値観をそういうふうにカイゼンするべきなのである。<br />
そうすることによって、マジで最強な状態になる。幸せを追い求めている状態では、毎日ささやかな幸せを感じ、目標の到達したときには莫大な幸せを感じることができる。<br />
総じて、常に「幸せな状態」でいられるのだ。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>●幸福論●　僕と、僕に関する全ての人が、この文章によって少しでも「人生が幸せに」なるために。その１</title>
		<link>http://shoichi.co.jp/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/338.php</link>
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		<pubDate>Wed, 08 Sep 2010 09:23:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[●幸福論
幸福論。
僕が考える「幸せ」と、「幸せの生み出し方」について書き残しておこうと思う。
もし世の中に「平均的な幸せさ」というものがあるならば、僕の幸せさは平均よりは絶対上回っていると思う。
そして、僕の幸せさは、偶然生み出されているわけではない。
自分で、意図的に、能動的に生み出している部分が大きい。
では、どうやってその幸せを生み出しているのか。
それを記すことによって、僕の好きな人達を幸せにできるかもしれないし、僕自身が迷った時の役にも立つ。
そう考えて、本文を記す。
本文は僕の行動原理の根幹となっている部分なので、何かご意見などあれば、是非頂きたいと思います。
●目標の分析。そもそも幸せとは。
まずは何から手をつけるのかと言われたら、目標の分析である。
幸せになろうと思ったら、まずは幸せの本質を知らないと幸せになることはできない。
幸せになろうと思ったら、幸せとはなんなのかを考え、徹底的に分析し、他者の考えを聞き、自分の中で定義付け、その定義を心から納得し、
その定義をもって細かな「目標」に落とし込まなければならない。
目標を達成した瞬間に「これは本当に俺の求めていた幸せなのか？」と考えるような、納得感の少ない目標では意味が無いのである。
何故なら、納得感のない目標では、それを信じて進む力が弱くなるから。
納得感を持って目標を立てることが出来れば、目標を達成するための方法は全て一緒である。
目標分析→プロセス構築→実行→改善→プロセス構築→実行→改善……→目標実現。
で、目標実現＝幸せ実現。
これで目標の先にある「幸せ」に到達する道が見える。
●幸せの定義
さて、幸せとは何か。
どういう状態が幸せなのだろうか。
幸せに関する問題は、私が昔、15-16歳の頃よく考えていたが、結構悩んだのを覚えている。
「人よりも幸せになりたい。」
僕のこの漠然とした、しかし強い欲望が、僕を子供の頃からこの問題にのめりこませるきっかけになった。
高校の頃、東大京大を受験しようと考えている友人たちと教室でダラけながら、「人間って、どーやったら幸せになると思う？」と聞いてみたことがある。
そしたら４人の友人たちはぶっきらぼうに、
「ショーイチ、今からダッシュでカルピスウォーター４本買ってきてくれよ！！そしたら幸せになるよ！！ギャハハ！！」という回答。
さすが俺の友達。頭がイイ割に直接的だ。。。
皆様、挨拶がわりの笑い話と思うなかれ。
僕は色んな場面で色んな人にこの質問を投げかけているが、基本的に上記の友人たちと回答は変わらないのだ。
「給料が上がったら幸せになりますよ…」
「可愛い彼女ができたら幸せになりますよ…」
「健康になったら幸せになりますよ…」
「あのムカツク上司が死んだら幸せになりますよ…」
「仕事がうまくいったら幸せになりますよ…」
特に給料とかお金の話が多かった。
要は欲望（物欲、知識欲、金銭欲、権威欲、性欲、友情、家族愛などなど）がかなえば幸せになるという説が、世間一般の通説らしい。
僕もそうだと思っていたが、どこか違和感があった。
それもそのはず、カルピスウォーターが、給料や彼女に変わっただけで、論理的には何も変わっていないのだ。
欲望がかなえば幸せになるというのは、本質的ではないと感じていた。
●感情論
「欲望がかなう＝幸せ」という図式は簡単に頭に浮かぶ。
しかし、私に取ってその図式は、しっくりこなかった。
この図式はどこか間違っている…
シンプルな直球ではない気がする…
そういう漠然とした違和感があった。
本問題に関しては、ガキの時分だが、結構悩んだ。
「欲望と幸せ」のプロセスの間に何か挟まっている感じがする…
何だ…
なんやねん…
なにがちがうねん…
正しい回答ではない違和感がする…
正しい回答というか、ただただ、「欲望」をかなえ続けるだけでは幸せになれない気がする…
こういう本質を問う議論は、とにかく、どこでもいいから議論して、学校でも通勤でも考えて、それからまた2軒目のバーでまた飲みながら議論して、
朝まで考えて、一周回ってそれでもまた議論しつくす。
すると、行き着く先はたいていシンプルな回答になることが多い。原理原則や、真理は常にシンプルだと思う。
皆さんもそういう経験があるはずだ。
で、あるときスッと答えが出た。
「そうか、「感じる」が抜けているんだ。」
プロセスとして、欲望がかなう→幸せというのは間違っていない。
欲望がかなう→満たされる→幸せを感じる、が正しい。
どーなったら幸せかわからない、ではない。
正しい表現は「どーなったら幸せを感じるのかわからない」だ。
幸せになる、という抽象的な表現ではなく、「幸せを感じる」だ。
「幸せは、感情である。」
だから我々は、「幸せを感じる」ためにどうしなければならないか、を考えなければならない。
幸せの定義は「自分が幸せと感じること」、だと僕は考える。
●幸せを感じる方法
上記の議論を踏まえると、我々が「幸せを感じる」スキームは下記になる。
・１事象→２感情→３幸せ
もっと細かくいうと
・なんかの事象がある→それに対して、自分の価値観を通じて感情が生まれる→この感情が幸せに分類される感情であれば、幸せを感じる。
例に例えると
・例＊友人が焼肉をおごってくれる→焼肉はうまい！しかもタダだ！！→「うまい」という感情、「おごってもらう」と言う感情は、僕の中では幸せに分類される。
幸せに分類される感情なので、幸せを感じる。
ここまでの理解は良いだろうか。当たり前すぎるが、その当たり前なことを確認することが納得感につながるのである。もう少しお付き合いいただきたい。
では、次。
どーやったら「幸せを感じる」事象を増やせるのか。
もう皆さんおわかりだろうが、単純に「今、幸せを感じる」事象を増やすのが、カルピスウォーターである。
給料であり、可愛い彼女であり、焼肉ジュージューなのである。
我々が真に潤沢な、溢れんばかりの幸せを享受するためには、カルピスウォーターだけでは足りない。
３段階に論じないといけないのだ。
すなわち
・１事象を増やす。
・２感情→３幸せ。幸せに分類される感情の種類を増やす。
・１事象→２感情。幸せに分類される感情を感じる事象の種類を増やす。（これ、わかりにくい。あとで詳しく説明します。）
１事象を増やす。に関しては当たり前すぎるので、ここでは論じない。
●２感情→３幸せ
まずは、「２感情→３幸せ」から話そう。こっちから話したほうがわかりやすい。
当たり前だが、同じ感情でも、人によって、幸せと感じるか感じないかが違う。
たとえば、一般的に満腹感は幸せだと考えられているが、明日オーディションのアイドルからしたら罪悪感を感じるだろう。
家でダラダラと一日を過ごし、ダラダラ感を享受することは、忙しいビジネスマンにとっては死を意味するが、ニートからしたら大歓迎である。
「幸せを生み出す」ためには、その手前、「２感情→３幸せ」の部分を精査する。
この場合、「感じる幸せの総量を増やす」と言い換えたほうがわかりやすいかもしれない。
幸せを水とイメージすると、水を通すパイプの幅を拡げるのだ。
あなたのパイプの幅を広げて、アマゾンのような大河にし、幸せの水をジャブジャブと流そう。
まず手始めに、自分の中でどんな感情が幸せを感じるのか、自己分析しなければならない。
例えば、食事をして得られる感情を、例えば下記としよう。
１「美味しい。満腹になる。」
２「友人と会話しながら食べると楽しい。」
３「お金を払いたくない」
４「食べに行くのがめんどくさい」
１と２は幸せに結びつく。
３と４は幸せに結びつかない。
当たり前である。
だが、ここで、終わるのは凡人であり、クズである。
一生、「能動的に」自分の幸せを生み出すことができないクズである。
幸せになりたい我々は、カイゼンをする必要がある。
３と４を幸せに結びつけるように、価値観を変えたとしたら、いかがだろうか。
例えば、こんな考え方はどうだろう？
３「お金を払いたくない」
→むしろ、食事をご馳走することによって、友人からお金では買えない笑顔や感謝をもらうことができる。
→食事代なんてどうでもよくなるぐらい、お金を稼げばいいんじゃないか。仕事のモチベーションに変換する。
４「食べに行くのがめんどくさい」
→むしろ、食事を自分で用意して、家に呼ぶ。そうすることによって、面倒だが料理の腕前が上がる。
→タクシーでいく。タクシー代なんてどうでもよくなるぐらい、お金を稼げばいいんじゃないか。仕事のモチベーションに変換する。
自分の価値観を、幸せに準ずるように最高にカスタマイズした場合、こうなる。
１「美味しい。満腹になる。」
→今日はこんなおいしいごはんを食べることが出来て、なんて幸せなんだ。
２「友人と会話しながら食べると楽しい。」
→今日はこんな楽しい友人と食事ができて、なんて幸せなんだ。
３「お金を払いたくない」
→今日はみんなに食事をご馳走した。友人からお金では買えない笑顔や感謝をもらうことが出来て、なんて幸せなんだ。
４「食べに行くのがめんどくさい」
→タクシー代なんてどうでもよくなるぐらい、お金を稼げている僕は、なんて素晴らしくて幸せなんだ。
多少無理があるが、要は上記のように「自分の価値観を、幸せに準ずるように最高にカスタマイズ」できればなんでもいいのである。
微調整は長い人生の中でとっていけばいい。
考え方をカイゼンすることによって、日常的な事象でも、やたらと幸せになる。
観点や価値観を変えることによって、こんなにカンタンに幸せ度が増すのである。
ポジティブな人間は何故幸せなのか。
それは、
・幸せになる感情が多いので、同じ行動を取って、同じ事象を体験しても、普通の人より幸せになる確立が高い。
・上記と同様に、そもそもマイナスの感情に繋がる行動が少ない。つまり不幸せに感じる確立が少ない。
プラスが多く、マイナスが少ない。
僕は会社の社長だから、会社になおすと
ポジティブ人間はネガティブ人間に比べて、売上が高くて経費が少ないのだと思う。
だから、利益（幸せ）が多く残る。
優良企業である。（笑）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>●幸福論<br />
幸福論。<br />
僕が考える「幸せ」と、「幸せの生み出し方」について書き残しておこうと思う。<br />
もし世の中に「平均的な幸せさ」というものがあるならば、僕の幸せさは平均よりは絶対上回っていると思う。</p>
<p>そして、僕の幸せさは、偶然生み出されているわけではない。<br />
自分で、意図的に、能動的に生み出している部分が大きい。</p>
<p>では、どうやってその幸せを生み出しているのか。<br />
それを記すことによって、僕の好きな人達を幸せにできるかもしれないし、僕自身が迷った時の役にも立つ。<br />
そう考えて、本文を記す。<br />
本文は僕の行動原理の根幹となっている部分なので、何かご意見などあれば、是非頂きたいと思います。</p>
<p>●目標の分析。そもそも幸せとは。<br />
まずは何から手をつけるのかと言われたら、目標の分析である。</p>
<p>幸せになろうと思ったら、まずは幸せの本質を知らないと幸せになることはできない。<br />
幸せになろうと思ったら、幸せとはなんなのかを考え、徹底的に分析し、他者の考えを聞き、自分の中で定義付け、その定義を心から納得し、<br />
その定義をもって細かな「目標」に落とし込まなければならない。</p>
<p>目標を達成した瞬間に「これは本当に俺の求めていた幸せなのか？」と考えるような、納得感の少ない目標では意味が無いのである。<br />
何故なら、納得感のない目標では、それを信じて進む力が弱くなるから。</p>
<p>納得感を持って目標を立てることが出来れば、目標を達成するための方法は全て一緒である。<br />
目標分析→プロセス構築→実行→改善→プロセス構築→実行→改善……→目標実現。<br />
で、目標実現＝幸せ実現。<br />
これで目標の先にある「幸せ」に到達する道が見える。</p>
<p>●幸せの定義<br />
さて、幸せとは何か。<br />
どういう状態が幸せなのだろうか。</p>
<p>幸せに関する問題は、私が昔、15-16歳の頃よく考えていたが、結構悩んだのを覚えている。<br />
「人よりも幸せになりたい。」<br />
僕のこの漠然とした、しかし強い欲望が、僕を子供の頃からこの問題にのめりこませるきっかけになった。</p>
<p>高校の頃、東大京大を受験しようと考えている友人たちと教室でダラけながら、「人間って、どーやったら幸せになると思う？」と聞いてみたことがある。<br />
そしたら４人の友人たちはぶっきらぼうに、<br />
「ショーイチ、今からダッシュでカルピスウォーター４本買ってきてくれよ！！そしたら幸せになるよ！！ギャハハ！！」という回答。<br />
さすが俺の友達。頭がイイ割に直接的だ。。。</p>
<p>皆様、挨拶がわりの笑い話と思うなかれ。<br />
僕は色んな場面で色んな人にこの質問を投げかけているが、基本的に上記の友人たちと回答は変わらないのだ。<br />
「給料が上がったら幸せになりますよ…」<br />
「可愛い彼女ができたら幸せになりますよ…」<br />
「健康になったら幸せになりますよ…」<br />
「あのムカツク上司が死んだら幸せになりますよ…」<br />
「仕事がうまくいったら幸せになりますよ…」</p>
<p>特に給料とかお金の話が多かった。<br />
要は欲望（物欲、知識欲、金銭欲、権威欲、性欲、友情、家族愛などなど）がかなえば幸せになるという説が、世間一般の通説らしい。</p>
<p>僕もそうだと思っていたが、どこか違和感があった。<br />
それもそのはず、カルピスウォーターが、給料や彼女に変わっただけで、論理的には何も変わっていないのだ。<br />
欲望がかなえば幸せになるというのは、本質的ではないと感じていた。</p>
<p>●感情論<br />
「欲望がかなう＝幸せ」という図式は簡単に頭に浮かぶ。<br />
しかし、私に取ってその図式は、しっくりこなかった。</p>
<p>この図式はどこか間違っている…<br />
シンプルな直球ではない気がする…<br />
そういう漠然とした違和感があった。</p>
<p>本問題に関しては、ガキの時分だが、結構悩んだ。<br />
「欲望と幸せ」のプロセスの間に何か挟まっている感じがする…<br />
何だ…<br />
なんやねん…<br />
なにがちがうねん…<br />
正しい回答ではない違和感がする…<br />
正しい回答というか、ただただ、「欲望」をかなえ続けるだけでは幸せになれない気がする…</p>
<p>こういう本質を問う議論は、とにかく、どこでもいいから議論して、学校でも通勤でも考えて、それからまた2軒目のバーでまた飲みながら議論して、<br />
朝まで考えて、一周回ってそれでもまた議論しつくす。<br />
すると、行き着く先はたいていシンプルな回答になることが多い。原理原則や、真理は常にシンプルだと思う。<br />
皆さんもそういう経験があるはずだ。</p>
<p>で、あるときスッと答えが出た。</p>
<p>「そうか、「感じる」が抜けているんだ。」</p>
<p>プロセスとして、欲望がかなう→幸せというのは間違っていない。<br />
欲望がかなう→満たされる→幸せを感じる、が正しい。<br />
どーなったら幸せかわからない、ではない。<br />
正しい表現は「どーなったら幸せを感じるのかわからない」だ。<br />
幸せになる、という抽象的な表現ではなく、「幸せを感じる」だ。</p>
<p>「幸せは、感情である。」</p>
<p>だから我々は、「幸せを感じる」ためにどうしなければならないか、を考えなければならない。</p>
<p>幸せの定義は「自分が幸せと感じること」、だと僕は考える。</p>
<p>●幸せを感じる方法<br />
上記の議論を踏まえると、我々が「幸せを感じる」スキームは下記になる。</p>
<p>・１事象→２感情→３幸せ</p>
<p>もっと細かくいうと</p>
<p>・なんかの事象がある→それに対して、自分の価値観を通じて感情が生まれる→この感情が幸せに分類される感情であれば、幸せを感じる。</p>
<p>例に例えると</p>
<p>・例＊友人が焼肉をおごってくれる→焼肉はうまい！しかもタダだ！！→「うまい」という感情、「おごってもらう」と言う感情は、僕の中では幸せに分類される。<br />
幸せに分類される感情なので、幸せを感じる。</p>
<p>ここまでの理解は良いだろうか。当たり前すぎるが、その当たり前なことを確認することが納得感につながるのである。もう少しお付き合いいただきたい。</p>
<p>では、次。<br />
どーやったら「幸せを感じる」事象を増やせるのか。</p>
<p>もう皆さんおわかりだろうが、単純に「今、幸せを感じる」事象を増やすのが、カルピスウォーターである。<br />
給料であり、可愛い彼女であり、焼肉ジュージューなのである。</p>
<p>我々が真に潤沢な、溢れんばかりの幸せを享受するためには、カルピスウォーターだけでは足りない。<br />
３段階に論じないといけないのだ。</p>
<p>すなわち<br />
・１事象を増やす。<br />
・２感情→３幸せ。幸せに分類される感情の種類を増やす。<br />
・１事象→２感情。幸せに分類される感情を感じる事象の種類を増やす。（これ、わかりにくい。あとで詳しく説明します。）</p>
<p>１事象を増やす。に関しては当たり前すぎるので、ここでは論じない。</p>
<p>●２感情→３幸せ<br />
まずは、「２感情→３幸せ」から話そう。こっちから話したほうがわかりやすい。</p>
<p>当たり前だが、同じ感情でも、人によって、幸せと感じるか感じないかが違う。<br />
たとえば、一般的に満腹感は幸せだと考えられているが、明日オーディションのアイドルからしたら罪悪感を感じるだろう。<br />
家でダラダラと一日を過ごし、ダラダラ感を享受することは、忙しいビジネスマンにとっては死を意味するが、ニートからしたら大歓迎である。</p>
<p>「幸せを生み出す」ためには、その手前、「２感情→３幸せ」の部分を精査する。<br />
この場合、「感じる幸せの総量を増やす」と言い換えたほうがわかりやすいかもしれない。<br />
幸せを水とイメージすると、水を通すパイプの幅を拡げるのだ。<br />
あなたのパイプの幅を広げて、アマゾンのような大河にし、幸せの水をジャブジャブと流そう。</p>
<p>まず手始めに、自分の中でどんな感情が幸せを感じるのか、自己分析しなければならない。<br />
例えば、食事をして得られる感情を、例えば下記としよう。<br />
１「美味しい。満腹になる。」<br />
２「友人と会話しながら食べると楽しい。」<br />
３「お金を払いたくない」<br />
４「食べに行くのがめんどくさい」</p>
<p>１と２は幸せに結びつく。<br />
３と４は幸せに結びつかない。<br />
当たり前である。</p>
<p>だが、ここで、終わるのは凡人であり、クズである。<br />
一生、「能動的に」自分の幸せを生み出すことができないクズである。<br />
幸せになりたい我々は、カイゼンをする必要がある。</p>
<p>３と４を幸せに結びつけるように、価値観を変えたとしたら、いかがだろうか。<br />
例えば、こんな考え方はどうだろう？</p>
<p>３「お金を払いたくない」<br />
→むしろ、食事をご馳走することによって、友人からお金では買えない笑顔や感謝をもらうことができる。<br />
→食事代なんてどうでもよくなるぐらい、お金を稼げばいいんじゃないか。仕事のモチベーションに変換する。</p>
<p>４「食べに行くのがめんどくさい」<br />
→むしろ、食事を自分で用意して、家に呼ぶ。そうすることによって、面倒だが料理の腕前が上がる。<br />
→タクシーでいく。タクシー代なんてどうでもよくなるぐらい、お金を稼げばいいんじゃないか。仕事のモチベーションに変換する。</p>
<p>自分の価値観を、幸せに準ずるように最高にカスタマイズした場合、こうなる。<br />
１「美味しい。満腹になる。」<br />
→今日はこんなおいしいごはんを食べることが出来て、なんて幸せなんだ。<br />
２「友人と会話しながら食べると楽しい。」<br />
→今日はこんな楽しい友人と食事ができて、なんて幸せなんだ。<br />
３「お金を払いたくない」<br />
→今日はみんなに食事をご馳走した。友人からお金では買えない笑顔や感謝をもらうことが出来て、なんて幸せなんだ。<br />
４「食べに行くのがめんどくさい」<br />
→タクシー代なんてどうでもよくなるぐらい、お金を稼げている僕は、なんて素晴らしくて幸せなんだ。</p>
<p>多少無理があるが、要は上記のように「自分の価値観を、幸せに準ずるように最高にカスタマイズ」できればなんでもいいのである。<br />
微調整は長い人生の中でとっていけばいい。<br />
考え方をカイゼンすることによって、日常的な事象でも、やたらと幸せになる。<br />
観点や価値観を変えることによって、こんなにカンタンに幸せ度が増すのである。</p>
<p>ポジティブな人間は何故幸せなのか。<br />
それは、<br />
・幸せになる感情が多いので、同じ行動を取って、同じ事象を体験しても、普通の人より幸せになる確立が高い。<br />
・上記と同様に、そもそもマイナスの感情に繋がる行動が少ない。つまり不幸せに感じる確立が少ない。<br />
プラスが多く、マイナスが少ない。</p>
<p>僕は会社の社長だから、会社になおすと<br />
ポジティブ人間はネガティブ人間に比べて、売上が高くて経費が少ないのだと思う。<br />
だから、利益（幸せ）が多く残る。<br />
優良企業である。（笑）</p>
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